アフロスポーツ・ディレクターの高橋と申します。日ごろは、SNSの中の人や会社の広報などを担当しています。
全世界で猛威をふるった新型コロナウイルスの影響で史上初の延期となった東京オリンピックが開催されたのが2021年7月。そのわずか半年後の2022年2月に北京冬季オリンピックが開催されました。世界でもまだまだコロナウイルスが収まらない中で開催された北京オリンピックは、一般市民の方々とは絶対に交わらないように「完全バブル方式」が採用され、私たちが行動できるのは競技会場、メディアセンター、ホテル、メディア用バス、高速鉄道などに限定されました。お腹が空いたからちょっと近くの食堂で食事をしたいということも一切できませんし、毎日PCR検査も受けました。
そのような環境の中でも私たちがオリンピックを撮影するミッション「出場する日本代表選手全員の最高の瞬間を撮影する」ことを達成するためにどのように大会に挑んだのか、その現場の様子を記録としてここに残したいと思います。
自己紹介
私たちアフロスポーツは、フォトグラファーチームとして活動しており、業種としてはあまり馴染みがないかもしれませんが「フォトエージェンシー」と呼ばれています。
フォトエージェンシーは欧米では一般的なようですが、聞いたことがない方もいると思います。私たち自身ではメディアを持たず、テレビ、新聞、雑誌、Webニュースなどのメディアの方々に必要とされる写真を配信するのが主な仕事です。その他にも、競技団体のオフィシャル撮影や企業スポーツチームや様々な広告用の撮影もしています。
テレビやWebニュースなどで「写真:アフロスポーツ」とクレジットを掲載いただくので、見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。
1997年に結成し、1998年長野オリンピックでは大会全体を写真で記録するオフィシャルフォトチームを務めました。2000年シドニーオリンピックからは日本オリンピック委員会(JOC)の公式記録チームとなり、オリンピックはもちろん、アジア大会、ユニバーシアードなどの国際スポーツ総合大会で「日本代表選手団の活躍を写真で伝える」ということをミッションに、撮影をしています。北京オリンピックでも撮影した写真はJOC公式サイト、SNSなどで配信されました。
この北京オリンピックでの取材体制は、弊社からは5名のフォトグラファーとディレクター1名の計6名。そして世界各国のフォトグラファーやフォトエージェンシーと連携しながら、ともに大会の撮影に挑みました。
フォトディレクターの役割
私の主な業務は、すべての日本代表選手を撮影するために、「どのフォトグラファーがどの競技を撮影するかを決める」ことです。
私たちの仕事の大きな流れは
- ディレクターが撮影スケジュールを決める
- フォトグラファーは撮影はもちろん、写真を選び、配信用のサイトにアップロードする
- メディアの皆さまがそのサイトから写真を検索、ダウンロードし各媒体に掲載いただく
フォトグラファーにはもちろんそれぞれ個性があり、その競技を撮影するにあたって得意・不得意もあります。
日頃から彼らの写真を見ることで、個々の長所を活かせるように、「彼だったらこんな写真を撮ってくれるはず!」とイメージしながら、それぞれの撮影競技を決めていきます。
開会式をどう乗り切るか
フォトグラファーは上の集合写真のようにADカードを首からぶら下げ、アームバンドを身につけることで、会場内で撮影することを許可されます。しかし開会式は取材パスだけでなく、取材するための「チケット」が必要となります。(通称ハイデマンドチケット制)。ということで、開会式はチケットを持ったフォトグラファーが鳥の巣と呼ばれるメインスタジアムでの撮影に挑みました。
私たちの開会式でのミッションは
「日本代表選手団の入場行進をかっこよく撮る」
開会式直前にフォトブリーフィングというフォトグラファー向けの簡単な説明会が開催されるのですが、ここで初めて選手団がどこから入場して、どの方向に進むのか。ということが共有されます。撮影する場所は自由に決められません。持っているチケットでエリアが決められているので、そこからどんな写真が撮れそうかを想像し、本番に挑まなければなりません。過去何度も経験しているのである程度の予測はつくのですが、入場行進が始まるまで気が抜けません。
私たちが撮影時に考慮するのは、
- 「JAPAN」というプラカードが旗手に被らないか。さらに東京大会に続いて旗手が2名いる!!!(日本はノルディック複合 渡部暁斗選手とスピードスケート 郷亜里砂選手)
- 隊列の長さと幅の大きさはどれくらいになりそうか
- 他国の入場行進を見ながら、動きを予想しながら本番に備える
そうして撮影した写真がこちらです。撮影している最中には気が付かなかったのですが、行進中にバク宙をする選手も偶然写っていました。
開会式終了時刻は22時。そこからメディアセンターまでバスで移動。メディア専用のバスが用意されるのですが、乗り込むまでバス停に約1時間並び、到着したのは23時過ぎ。そこから改めてフォトグラファーが撮った写真をチェックし、仕事を終えたのが3時。翌日(というか当日)の8時には業務を開始したいので、メディアセンターでそのまま仮眠。ディレクターにとっては、まずは開会式の行われる日がオリンピックの山場になり、17日間の大会の幕開けとなるのです。
大会を撮影するということ
全日程・全競技を撮影できれば最高なのですが、取材するためのADカードにも枚数に限りがあります。そのため、日々選手の動向をチェックしながら撮影スケジュールを作ります。
北京オリンピックで苦戦したのはスケート系・カーリング・アイスホッケーが実施される北京市内とスキー・スノーボード系競技が実施される張家口市の2都市間の移動に想定以上に時間がかかってしまうこと。冬季オリンピックではメダルセレモニーが競技終了後に会場で行われるのではなく、メダルセレモニー会場が別途設けられそこで実施されるのですが、そのメダル会場も2ヶ所に設置されたこと。フォトグラファーを2拠点に分ければいいだけなのですが、私たちは過去のオリンピック撮影での「大変でもフォトグラファーが様々な競技を撮影したほうが、全体として良い写真が撮れる確率が高い」という経験から、全員北京市内に拠点を作る選択をしました。その結果、撮影するスケジュールがどうなったかというと、例えば2月5日のフォトグラファーAの撮影スケジュールです。
- 4:00 ホテルからバスでメディアセンターへ移動
- 5:00 メディアセンターからバスで高速鉄道駅へ移動
- 6:00 高速鉄道で北京市から張家口市へ移動
- 7:00 張家口市駅からバスでスノーボード会場へ移動
- 8:00 スノーボード会場着・メディア向け説明会
- 9:30-11:00 スノーボード女子スロープスタイル決勝撮影。撮影後、バスでクロスカントリー会場へ移動(約30分)
- 15:00-16:45 クロスカントリー男子スキーアスロン。撮影後、ジャンプ会場へ移動(バスで約15分)
- 19:00-20:45 ジャンプ男子ノーマルヒル。撮影後、バスで張家口駅へ移動(バスで30分)
- 22:00 高速鉄道で北京へ。
- 1:00 ホテル着
移動の合間に写真をサイトにアップしたり、食事・仮眠を取ります。こういったスケジュールがオリンピック期間中ずっと続いていきます。正直、体力勝負です。
大会序盤は、この移動と予想以上の寒さに苦戦しました。でも結果として、誰一人コロナに感染することなくもなく、大会を通してほぼ全競技の撮影に入り、日本選手、さらにメダル獲得の瞬間を撮影することができました。
プレスセンター
大会期間中のほとんどの時間を過ごすことになるメディアセンター。僕たちがいるのは「メインプレスセンター(MPC)」と呼ばれる場所です。テレビ関係の方たちがいる「インターナショナルブロードキャスト(IBC)」とは異なります。
キヤノン・ニコン・ソニーといったカメラメーカーがブースを展開してくれて大会期間中のメンテナンスや、必要なレンズを貸し出してくれたり、私たちにいなくてはならない存在です。
北京ではこれまでのデジタル一眼レフカメラから、ミラーレスカメラへの移行が急速に進んだ大会でもありました。カメラの進化はアスリートの最高の一瞬を撮影を逃さないためにも大きな助けになります。フォトグラファーによってデジタル一眼か、ミラーレスかを選択し、その競技に合わせて機材を選択していました。各会場にもこのようにカメラマンが仕事をできるエリアが作られています。
こうして、閉会式まで、撮影・撮影・撮影の怒涛の日々。フォトグラファーは与えられたその場所から、アスリートを追いかけ続けました。それぞれが、もうちょっとこうしたら良かったな、と反省点がありつつも、最善を尽くせたのかなとは思っています。
大会期間中、フォーブスジャパン様にオンライン取材いただいたので、現地の様子などはこちらからもご覧いただけます。
そしてTEAM JAPAN・日本オリンピック委員会公式写真集も4月11日にようやく販売開始となります。もし写真集をご覧いただける機会がありましたら、ぜひお手にとってみてください。
ほんの一部ですが、フォトグラファーそれぞれが、「最高の瞬間を撮る」という思いで撮影したフォトギャラリーを公開していますので、ご覧いただけますと幸いです。
日々のスポーツ写真はインスタグラムにアップしています。