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リュージュ・小林誠也「リュージュをもっと知ってもらいたい。 そのために小林陵侑選手のようになれたら」 

フランス語で「木ぞり」を意味するリュージュ。最高速度は時速150kmを超え「氷上のF1」と呼ばれることもある。

そのリュージュを今、日本で競技をすることは非常に難しい。日本に唯一あったコース・長野スパイラルは2018年には製氷をやめ、ソリで滑走することができなくなった。決して恵まれた状況とは言えない中、2022年2月北京オリンピックに日本勢として唯一出場した小林誠也選手。初めて挑んだオリンピックは32位と悔しい結果に。弱冠20歳でオリンピアンとなった小林選手にリュージュについて、オリンピックについて、そしてこれからの目標についてお話を伺った。

※オリンピックに出場した選手は「オリンピアン」と呼ばれる

 

北京オリンピックでのスタート前(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 

ーリュージュを始めたきっかけ

長野県がSWANプロジェクトという将来のオリンピックメダリストを発掘育成するというプログラムを開催していて、その応募のチラシが小学校にあったんです。その中にスキー、スケートに並んでリュージュがありました。「リュージュ」という響きにすごい惹かれて、小学5年生から始めました。リュージュ以外のスポーツはバスケットボールを小学2年生からやってて、中学校も続けてバスケットボール部に入りました。高校2年生からリュージュだけに絞って、本格的に競技に取り組みました。

 

ーオリンピックイヤーとなった2021-22シーズンを振り返って

ワールドカップは今年から初めてシニア部門に参加しました。ジュニア部門にも本来であれば今シーズンも参加できましたが、北京オリンピックがあるのでシニアに挑戦することにしました 。僕はリュージュの世界では若手です。リュージュは年齢の若い選手よりも経験を積んだベテランの方が強い選手が多いです。北京オリンピックでも金・銀を獲った選手の年齢は、確か30半ばだったと思います。

※2022年2月時点で金メダリストのクリストファー・グローテア選手(ドイツ)は35歳、ウォルフガング・キンドル選手(オーストリア)は33歳

 

オリンピックには最初から出れるか出れないか、ギリギリのラインにいました。昨シーズンはコロナの影響で海外に遠征することができなくて、コースでの滑走練習が一回もできませんでした。そういう不安を抱えた状況でシーズンが始まりました。トレーニングではうまく滑れても、大会では練習でもしないような失敗が続きました。たぶん「オリンピックに出たい気持ち」がプレッシャーになっていたのかもしれません。それでもワールドカップで成績を残せて、大会の2、3週間前にようやく出場することが決まりました。最後まですごく不安でしたが、すごくほっとしました。今年から日本のリュージュチームはアメリカとパートナーシップを結んで一緒に練習したり、大会に参加したりしてるんですけど、アメリカのコーチたちもオリンピック出場が決まったと伝えたら、すごく喜んでくれました。改めてオリンピックは特別な舞台なんだなというふうに感じました。

 

北京オリンピックで滑走する小林選手(写真:アフロスポーツ)

 

ーオリンピックに出場して得られたもの

オリンピックがワールドカップと大きく違うのはテレビで中継されて、ネットでも見ることができること。そのおかげで、たくさんの人にリュージュを見てもらえることです。これまで誰かに見られながら滑る環境がなかったので、それはすごく楽しみでもあり、緊張もしました(笑)そこに自分の課題に関係なくオリンピックっていう大会に飲まれてる部分があって。もともとできた滑りもできず、大きな失敗もして本当に「飲まれてる感」があったんです。言葉にするのはすごく難しいんですけど。ワールドカップでもう少し戦えるようになってからオリンピックに出るという選択肢もあったと思いますが、今は戦えるかギリギリでも、オリンピックっていう舞台を経験したっていうのがすごい大きいかなと思っています。オリンピックってこういうもんなんだ、というのが体感できれば次のオリンピックに向けて自分がさらに強くならないといけないイメージもできますし、すごい役に立つのかなと。とにかく、すごくいい経験になりました。

 

2本目ゴール後の表情は険しかった(写真:アフロスポーツ)

ただ、これまで僕が見ていたオリンピックと比べちゃうと、オリンピック感がすごく少なかった大会なのは残念でした。(北京オリンピックは競技によって一部の中国在住者の方のみ観戦できた)。僕は開会式にも参加していないし、他の競技も見に行けず、全然オリンピックらしい事ができなかった。残念なのは試合会場にも観客がいなかったことです。オリンピックはすごい盛り上がるのでやっぱりそれを経験してみたかったですが、それは次回のお楽しみですね。

 

本来であれば、観客はこのように間近で競技を見ることができる。写真は2006トリノオリンピック。(写真:アフロスポーツ)

 

ー強豪国ドイツと日本の違い

リュージュをしやすい環境が整っているのが、まずは大きな違いだと思います。ドイツにはコースが4つあり、小さな子供たちが普通にすごい楽しんでいます。平日なのに学校終わりにたくさんの子どもが滑りにきてて。ソリを滑る子どもがたくさんいて、その中からどんどん強い選手が出てくる。日本だと水泳が近いイメージです。スイミング教室もたくさんあって、泳ぐ選手もたくさんいて。そこから強い選手が出てくる。ドイツのように強豪国ってやっぱり選手の人数が多くて、その中から結果を残せる選手が出てきてて、国もどんどん力を入れています。そしてリュージュの認知の差っていうのがすごい大きいのかなと思っていて。そもそも日本ではリュージュを知ってる人が少ない。まずはそこを改善したいなっと思ってるんですけど。競技が認知され、強くなると、そこにお金も集まってきますしね。海外の選手のソリにはすごい開発費をかけているんですよ。ソリには企業秘密が詰まっているので、海外の選手はコーチがずっとソリを持って移動中に誰にも見られないようにしています。今、僕はもともとアメリカのヘッドコーチだった人が作っているソリに乗っています。価格はピンからキリまであるんですけど、やっぱり高いです(笑) メンテナンスしながら乗りますが、2、3年で買い替えます。

 

ー世界で戦うために必要なこと

ソリに乗るにはいろいろルールがあるのですが、

・基準体重は90kg

・90kgより体重が少ない人は、90kgまでおもりをつけることができる

 

体重は重いほうが加速力がつきます。筋肉だけの体格もよくなくて、ただ太っていうのはちょっとまずいと思うんですけど、すこし脂肪がついてても良いんです。というのはソリにサスペンションがないので体で衝撃を吸収しないといけない。体脂肪が15%くらいあったほうがいいのかなという考えもあります。僕はいま体重が67kg(身長172cm)で、今は体重を増やすために食事制限ではなく、食べられる量を増やすっていうのが今の課題です。最低でも75 kgないと厳しいんじゃないかと。75kgになればおもりを13kgつけてトータル88kgになる。そうなると、滑りも安定するしもう少し世界で戦えるようになると思います。

 

ーオリンピックを経験して

なぜみんなオリンピックを目指すのかっていうのがちょっとわかった気がします。やっぱりオリンピックって楽しい。本当に。注目度も違います。オリンピック出場が決まってから取材をしていただくこともすごく増えました。今まで知らなかった人が知ってくれて、すごいね、みたいな感じで声をかけてくれるのがすごい嬉しかったです。

大会中に、「ジャンプの小林陵侑選手みたいな、あそこまで行けるようになりたい」と思いました。僕の競技とジャンプのノーマルヒルが同じ日にあって。僕の競技が終わった帰りのバスの中でオーストリアの選手が「Kobayashi」「Kobayashi」って話してるんですよ。すごいドキッとしたんですけど、ジャンプの小林選手の話をしていたようでした(笑)ほかの競技で、しかもほかの国の選手に知られる存在になれるのはすごいことですし、憧れます。そのときに改めてもっと強くなりたいという思いが大きくなりました。(小林陵侑選手はこの日、ノーマルヒルで金メダルを獲得)

 

ーもし2030年に札幌オリンピックが開催されれば、リュージュは長野スパイラルでの開催予定です

今は2030年札幌を一番の目標にしていて、上位入賞を狙っています。そのとき僕は28歳で、ある程度滑走の経験も積めています。課題のスタートも早くなってるはず。2026年では4本目を滑れる位置にいれるようにとコーチからも言われています。(リュージュは4本の合計タイムを競う競技。オリンピックでは3本目までの合計タイム上位20人までが4本目を滑ることができる)

 

ゴール後に戸城コーチと(写真:アフロスポーツ)

 

地元長野で滑ることはやはりメリットになります。北京のときも、中国の選手がその地の利を生かしたくさん練習をしていたので、滑りがすごく安定していました。そのことを考えると、長野で開催されればさらに上位を狙えるのではと思っています。地元なので家族、友だちにもたくさん応援してもらえると思うので、すごく楽しみです。

 

日本唯一のソリコース「長野スパイラル」(写真:青木紘二/アフロスポーツ)

 

2017日本選手権で長野スパイラルを滑走する小林選手。当時16歳(写真:松尾/アフロスポーツ)

ーこれからの目標

この4月からは地元の中外印刷株式会社に就職し、社会人になりました。午前中は仕事、午後はトレーニングという日々を過ごしてます。面接では「年間で1/3くらいしか日本にいられない」ということも話したのですが、快く受け入れてくれました。そのことにすごく感謝しています。僕は少しでも競技で結果を残すことで、自分がメディアに取り上げられたり、SNSをもっとうまく活用できれば、「リュージュ」という競技の認知度が上がって、日本でリュージュをやれる環境も良くなったりできるようにしたいですし、会社にも色々と還元できればと思っています。

 

プロフィール

小林誠也 (こばやし せいや)
2001年8月11日生・長野県飯綱町出身
2022年4月に社会人となり、中外印刷株式会社に所属。

・インスタグラム:https://www.instagram.com/koba.201/
・中外印刷株式会社HP:https://www.chugai-printing.co.jp

 

北京2022オリンピック競技大会におけるTEAM JAPANの活躍をまとめた
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