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クロスカントリー児玉美希 「どんなに身体が小さくても、世界で戦えるようになりたい」

クロスカントリースキー。走法はクラシカルとスケーティング。ヨーロッパでは絶大な人気を誇り、オリンピックでも数多くのカメラマンが撮影に訪れる。よりよいシーンを撮影するために、ゴールのフォトポジションはいつもカメラマンでいっぱいだ。しかし、日本でそれほど馴染みがある競技かと言われれば、そうとは言えない。オリンピックでの日本選手の過去最高成績は男子が2002ソルトレーク大会・今井博幸の6位。女子では2006トリノ大会・夏見円、福田修子がチームスプリントで8位。世界との差はまだまだ大きい。

北京オリンピックに出場した児玉美希は身長149cm。出場選手の中ではその身体の小ささがひときわ目を引いた。結果は3種目に出場し7.5km+7.5kmスキーアスロン・52位、30kmフリー・50位。そして日本チームとして出場したリレーでは8位入賞を目指しアンカーを務めるも11位と目標には届かなかった。圧倒的な体格差で欧米選手に劣る日本選手が世界の強豪と互角に戦えるようになるために何が必要か、児玉選手に話を聞きました。

北京オリンピック女子リレーでアンカーを務めた(写真:アフロスポーツ)

ー北京オリンピックを終えて

オリンピックは私の中ではすごく遠い存在でした。オリンピックの映像は小さい頃から家族と一緒に見ていました。マリット、ヨーハグすごいな、とか言いながら。(オリンピックでマリット選手は金8・銀4・銅3、ヨーハグ選手は金4・銀1・銅1を獲得したスーパースター。ともにノルウェー)ずっと憧れていた場所ではあったんですけど自分が行けるなんて、という気持ちが大きかった。オリンピック出場が決まったときはとにかく嬉しい気持ちでいっぱいで、出るだけで満足してしまうかもと思っていたのですが、まずはしっかり走って結果を出したいっていう気持ちで臨んだんですけど。スプリントでは戦えないということがわかっていたので、それ以外の種目をどうするか決めました。一番重視していたのはリレーだったので、大会期間中の自分の調子を見ながら出場する種目を決めました。でも自分が描いてた結果とはかけ離れていました。もちろん、オリンピックに出場できた喜びも大きかったんですけど、私自身思った以上に悔しい気持ちでいっぱいの大会となりました。

リレーゴール後にチームメイトに迎えられて(写真:アフロスポーツ)

オリンピックはワールドカップのときと同じようにレースに臨む感覚だったり、そのレース自体には差はないんですけど、周りからの注目度や全体の雰囲気が全然違いました。そしてオリンピックに参加して改めてスポーツってすごいなと思いました。世界中からたくさんの選手が集まって、私だけじゃなく頑張る人の姿を見て感動させられる。オリンピックは特別な舞台でした。ただ、このコロナ禍での開催で海外の選手ともあまり交流はなく、閉会式の前にようやくノルウェーの選手と一緒に写真を撮れたくらいで。本当はもっとたくさんの選手と交流できたらよかったです。

クロスカントリーは人気競技。オリンピックのリレーのゴール地点には多くのカメラマンがシャッターチャンスを狙う(写真:アフロスポーツ)

ーオリンピック出場はいつ意識しましたか

平昌の時は派遣標準がワールドカップで8位以内という条件で、全然届きませんでした。ワールドカップでの上位入賞は、私にはもう遠すぎて自分には関係ないと思っていました。オリンピックに出たいっていう気持ちがないわけではないんですけど、ワールドカップで何回も最下位だった頃で、それよりも私なんかが世界に出たらダメなんだと落ち込んでいた時期でした。今回の北京オリンピックは全日本選手権での一発選考で枠が4つある状況で、すごいチャンスが巡ってきました。このチャンスを逃しちゃいけない、自分でも目指せるところにあるんだっていうことが分かってきたので、この1年間は本当にそれだけを見て競技に取り組んできました。

ークロカンを始めたきっかけ

新潟県十日町市のクロスカントリーコース近くに家がありました。小学校では授業がアルペンではなくクロカン。強制的に大会にも出てました(笑)。通っていた小学校に「特設スキー部」というクラブチームがあって、双子の兄が3年生の時に先に入部していたのでその影響もあり小学4年生からクロカンを始めました。その後、地元の中学校ではスキーと陸上、十日町高校でもスキーを続け、日本大学に進学。日本一になれるかも、とおもったのは大学に入ってからでした。

ー日本で大学を卒業してから競技を続ける環境について

大学卒業後は、三重県スポーツ協会に就職しました。(所属チームは三重県にある太平洋建設)スポーツ指導員でもあるので、子どもたちにスポーツ指導もしています。今は、スキーに打ち込める恵まれた環境にいます。社会人になっても大学からのコーチに引き続き指導してもらい、トレーニングを継続して積み重ねられたことは私にはすごくプラスに働いています。そして、大学同期に土屋(北京オリンピックに出場した土屋正恵選手)がいたことはとても大きなことでした。楽しいことだけでなく、苦しいことも共有しながらずっと一緒に競い合えたのは私の成長に欠かせなかったと思います。現状、日本で社会人スキーチームも少なくなってきてしまって、大学卒業後も競技を続けられる選手も減ってきています。クロカンは一人で練習すると、どうしても追い込める限界値が低くなってしまう。一緒にトレーニングできる仲間がいると、追い込めるレベルが上っていくのでそういう機会をできるだけ多くできるように、ほかの社会人選手とも密に連絡を取るようにしています。それでもやっぱり限界はあります。所属チームにリレーを組める人数がいないので、日本国内のレースでリレーをやる機会がないんです。「社会人はリレーに出れない(笑)」とみんな言います。オリンピック、世界選手権で入賞を狙っているのに、国内でリレーをできるレースがないのは辛いですね。そもそもリレーは走るのはもちろん、見る人にとっても楽しさがあるので、この状況はちょっと寂しいです。

同期の土屋選手(左)と児玉選手。日本大学時代の学生チャンピオン大会にて(写真は児玉選手提供)

ー北京のリレーを改めて振り返って

ワールドカップの結果を見ても、11位は妥当でした。トップとの差は約5分。絶対に8位入賞できる状況での挑戦ではありませんでした。石田正子さん以外の3人(児玉・土屋正恵・小林千佳)が30秒ずつ縮めないと入賞は実現はできません。悔しいですけど、今の力では11位が現実です。(もし1分30秒縮めることができれば8位のタイムに相当する)そもそもワールドカップでは5kmのレースもなく、世界大会でのリレーの経験が絶対的に少ないんです。その中で、どうやって経験を積み、レベルアップしていけるのかというのも課題です。

ー今回の走る順番はベストでしたか?(1走石田・2走土屋・3走小林・4走児玉)

北京はあれがベストだったと思います。1走が遅れてしまうと、残念ながら日本チームには挽回できる力がありません。

日本チームのゼッケンは10番。1走の石田正子選手(写真:アフロスポーツ)

2走の土屋正恵選手(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

3走の小林千佳選手(写真:アフロスポーツ)

ー日本が強豪国と戦うために何が必要か

海外の環境は純粋に羨ましい。夏の気温は20度。涼しければ、それだけで効率の良い練習ができるだろうなと思います。ローラースキーをやれる道路がずっと続いていたり。日本では場所を探すだけでも大変です。SNSでよく海外選手の動きをチェックするんですけど、チームもたくさんあって、たくさんのチームメイトでトレーニングできる状況が本当に羨ましいです。中国チームは北京オリンピックに向けて、海外で長期間合宿をするなどして、すごく強化をしていました。4年前は私たちよりずっと遅かった選手が、気がつくと成績で抜かれていました。体格的に欧米の選手と戦えないと言われますが、強化の仕方ではアジアの選手でも戦える、というのを示してくれました。練習環境や強化資金の面で欲を言えば切りがないですが、だからと言ってそれを強くなれない理由にはしたくありません。この状況でも、実際に男子の馬場直人選手がワールドカップで8位になったり、石田選手が長年ワールドカップで活躍してくれています。

ー外国選手との体格差について

世界で私より小さい選手に会ったことはありません(笑)。でも、体の小ささを言い訳にしたくない。実際、スキーやブーツなどのマテリアルで私に合うサイズをそもそも製造してないんです。ブーツは本当は21.5cmを履きたいけど、23cmを仕方なく履いていたときもありました。中敷きを敷いたり、足の甲にクッションを貼ったり工夫しながら履いていました。今は22cmのブーツがあるのでそれを履いていますが、それでも中敷きやクッションを入れて調整しています。スキーの長さも、身長に対してベストのものがありません。スキーも扱いやすいサイズだとスピードが出ないので、戦えなかったり。道具選びはずっと葛藤しています。オリンピックはクラシカル・フリー5台ずつ10台のスキーを持っていきました。残念ながら私にあうサイズはなかったのですが、自分のサイズがある選手は、北京で新しいスキーを受け取れた人もいたようです。それでも身体が小さいことを言い訳にしたくない。小さくても頑張れるんだ、というとこを見せられるように頑張っています。

スキーアスロンのスタート直後の児玉選手(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

ーより強くなるために必要なこと

まずスピードが圧倒的に足りません。外国人選手の6、7割の力が私にとっては全力です。スタートして100mで「おいていかれるな」という感覚が出てきてしまうのが戦えない理由です。トップスピードの限界値を上げるには、テクニックの向上も欠かせません。そうしない限り、戦えません。そのために1つ1つの練習の質も上げること。そして筋力を上げるために体重も増やさないとだめなんですけど、動ける体にする必要もあるので、そのバランスは難しいです。

リレー2走を走ったノルウェーのヨーハグ選手は圧倒的な走りを見せた(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

ー来シーズンに向けての目標

まだどういう選考になるかわかりませんが、ワールドカップに出て、30位以内に入ってポイントを取りたいです。それをずっと目標に掲げていましたが、その目標を達成できずにオリンピックに出る形になってしまいました。本来なら世界で戦えるようになってから出場できたら良かったのですが。4年後のオリンピックはまだまだ考えられませんが、とにかくポイントを取りたいです。日本チームは出場できるワールドカップの試合数が多くないのは非常に残念ですが、出続けられるように成績を残せるようになりたいと思っていますし、少しでも出場できるチャンスも作ってもらえるように頑張らないとなとも思っています。ただし、私自身が努力し続けることはもちろん、日本チームとしてレベルアップできるような仕組みだったり、機会が多くなればとも願っています。

2019世界選手権での走り(写真:児玉選手提供)

ー日本でもっとクロスカントリーを楽しんでもらえるようにするために

基本的にマイナーと言ってしまえばもうそれまでなんですけど。気軽にできない、道具も揃えなくちゃいけない。続けるにもお金がかかります。今は続けにくい理由がたくさんあって、それをすぐに変えるのは難しいですね。正解を見つけるのは難しいですが、高校生でやめてしまう子が多いので、競技はやめるけど、楽しんでスキーを続けられるようになればいいですよね。

ノルウェーのオスロで開催されたワールドカップには、コース上に観客がいっぱいいるんです。30kmのレースで私はずっと最後尾を走っていても、名前を呼んで応援してもらえます。そういうの、すごくいいなと思ったんです。日本ではそもそもトップ選手が走る機会を見てもらえることが多くないんですけど、今年3月に地元の小学校から社会人まで、いろいろなカテゴリーの選手たちが集まるレースがありました。子どもたちが応援してくれて、交流できる場もあり、すごく盛り上がるような運営をしてくれたんです。すぐにノルウェーのようにはならないかもしれないですけど、少しでもこういう機会が増えてくるといいですね。クロカンは辛そうと言われることが多い競技ですが、日本ではマラソン、ランニングをする人も増えているので、クロカンにも可能性はあるかなと。少しでもやってみたい、楽しそうと思ってもらえるように私もこれからSNSを使うなどもう少し情報発信できたらいいなと思います。

今年3月に地元十日町で開催されたFISレース(写真:児玉選手提供)

ー2030年札幌でオリンピックが開催されたら、日本のクロスカントリーがどうなっていたらいいですか

私自身は、どうなっているかわかりませんが(笑)。今は選手個人が自分の目標を目指してる、という感じが強いんですけど、日本のクロカンチームが一体となって戦っている、というようになっていたらいいなと思います。日本のスピードスケートチームを見てて、すごくいいなと思ったし、周りの人もそう思っているはず。強いチームにはそういう一面が絶対あると思うんです。日本のクロカンチームもそういう雰囲気になっていて、上位入賞ができているといいですね。

北京オリンピックの選手村で

児玉美希(こだま みき)
1996年11月21日生まれ 新潟県十日町市出身

インスタグラム:https://www.instagram.com/miki.kodama/
三重県スポーツ協会:http://www.mie-sports.or.jp/home/
太平洋建設:https://www.taiheiyo-kk.com/

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